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悲しい記録

プロフィール

人生には波があり登っては落ちる繰り返し七転八起

ご訪問ありがとうございます

【自己紹介】
つくし食堂

漫画「花男」が大好きでつくしが雑草のごとく生きている姿が大好きです
M'mamaです。アメブロでもお馴染みですね♡娘モモのママから来ています。
いつかお店を持ちたいとその時の名前になるかな?


33年前の主人が「がん」だと分かった時の記憶です
主人が生きたという事を残しておきたくて


お付き合いくださいませ

がんと告知された時

冬にスキーに行き転んで、お腹に水が溜まります。

初めていった病院では、肝臓が悪いと言われました。
なかなか腹水が消えないおかしいと感じ、私が前勤めていた病院に検査に行くように勧め、仕事だったので、母(看護師)が連れて行ってくれました
検査は胃のレントゲンと血液検査、診察でした。ただ、帰宅後、バリウムが出ないと大変でした。
即入院と言われましたが、今やってる仕事を終わらせてからと4日後になりました。
母は病院の先生と知り合いでしたのでその日のうちに結果を聞いていて寝れなかったそうです。
私は(それほど悪くないと)のん気にしていたのですが、母には私が涙に代わる姿が目に映っていたようです。
私は一週間後、先生の都合に合わせて結果を聞きに行きました。
先に、主人に会いに行き「大丈夫?何か欲しい物ない。また明日来るね」等を話し、先生のところに向かいました


この時に恨んだのが、私が集団検診報告書書きをしていたことです
胃のレントゲンの写真見てすぐにわかりました。胃短縮と言い胃の一部だけしか機能しておらず、火山の噴火のような形をしていました。もうここからは何が起きてるのか、真っ白になった記憶しかありません。少し落ち着てから
この後先生に告知されます

・スキルス胃癌 
・ステージ4  
・腹水が凄くて手術ができない  
・今後の対応 1.腹水を抜くと癌が動く
        2.このままゆっくり腹水を抜く(点滴、飲み薬)
          3.余命宣告 3か月から6か月

興奮状態で「どうしよう」と頭の中が駆け巡りました
自分を責めまくります。天国から地獄とはこのことです
何故か、主人の兄弟に伝えなければと思い、品川~埼玉の川口までどこどういうふうに通って行ったのかわかりませんが、ただ、高速には乗らず(スピード出し過ぎてしまうかと思い)下の道(国道15号線と4号線)を通った記憶です
母は、「死なばもろとも」と思った位、泣きながら運転していたそうです
この話をすると33年経った今でも涙が出ます( ノД`)
良く事故を起こさなかったと思います
主人の兄弟には、何か(援助)をしてもらうつもりはなく、ただ、知ってほしかっただけでした
この後、お兄さんがかかった病院、我が家からわりと近くの病院に転院することに話はまとまります

告知を受ける時
1.精神状態が異常になります
2.必ず、頼れる方と共に行かれてください。車は止めましょう!

ステージ1なら転移してない限り必ず今の医療なら治ると思います

スキルス胃癌

👆こんな感じでした

上の部分だけを残し下が全部縮んでしまっていました

33年経っても覚えています(衝撃でした)

写真はODANよりお借りしました

スキルス胃がん

びまん性胃がんとも呼ばれ、胃がんの中で10%を占めるとされる

初期の段階で症状がはっきりしないので診断が遅れるがん

スキルス胃がんについて | メディカルノート (medicalnote.jp)

原因

ピロリ菌細菌感染、喫煙習慣、食生活の問題があげられる。遺伝子異常が発症に関与している場合がある

スキルス胃がんについて | メディカルノート (medicalnote.jp)

症状

食欲不振豆腐や鍋がいいとよく言っていました。

体重減少…体重は変わっていませんでしたがただ肩のあたりが細くなりまた

下痢…本人からは聞いていませんでした

胸やけ言っていたように思います

胃の不快感…亡くなった後、会社のロッカーにびっしり胃薬が入っていました

がん細胞が胃の壁を通り抜けて腹腔内にがん細胞が広範囲に広がってしまい、腹水が溜まり、骨に転移する。

腰椎に転移していて後からわかりましたが、火葬をして骨を拾う時に骨髄が紫や赤くなっていました

スキルス胃がんについて | メディカルノート (medicalnote.jp)
*注意
1.会社の健康診断は必ず受けましょう
 ・もし、会社に所属してなければ、公共機関の胃のレントゲンは取りましょう
   ・なんか変であれば、必ず病院に行って検査してください
2.⁺ピロリ菌は排除しましょう 
 ・私も亡くなってから20年後に胃調子が悪くて、ピロリ菌が見つかり、排除しました
3.喫煙はよくないですね
 今考えても鮮明に思い出します後悔先に立たずです
ご自分の周りをよく見て、そして、直属の血胤(けついん)にがんの方がいるなら注意をされる事をお勧めします
必ずではありませんが、主人は生後半年でお父さんが亡くなっています。話を聞いただけですが、亡くなる前腹水が溜まっていたようです。心臓と聞いていましたが、症状が主人と同じでした。昔ですし、田舎でしたのでわからなかったように思われます
⁺ピロリ菌…胃の粘膜の中に住みつく菌

手術ができない時の対応

このお話は我が家の33年前の話です
携帯電話はありませんでしたし、パソコンは、テレビの古いブラウン管だった時代です
それを踏まえて読んでください

本人への告知
主人の兄弟と話し、がんの事は本人には内緒にしようと決めます
主人の性格が・意外と怖がり・がんと分かったら何をするかわからない(自分を苛め抜く)
主人には告げませんでした。家族(私の側も、主人側も)納得した結果です
でも、私自身は後悔したり、良かったんだと思ったりの繰り返しを33年してきています。

最後の日の2日前に「良く一緒にいてくれたね、多分もう少しだからね、離れないで」と言われました。
その日は母が来ていて母に「ありがとう、私を頼む」と言ったそうです。

今考えれば、知っていたのでしょう
中心静脈栄養(IVH)に切り替わったら個室に、移るよと話していましたが、泣いたことなどない人が泣いて泣いて手に付けられなかった事を覚えています。
差額ベッドにしました。清水の舞台から落とされるように「いくらかかってもよい」と思いました、辛いのをひたすら大部屋で耐えた主人を誉めてあげたくて、後何か月かかかっても私が働いていれば返せると思ったのです

夫への配慮

治療法
抗がん剤、痛み止め、放射線治療は無理だったように思います

母の知り合いの先生からの情報と文献、色々調べても丸山ワクチンの情報も乏しかったです。
なるべく苦しくない方がいいと思ってしまいました。頑張ってるのは本人です。私達は、本当の苦しさを分かち合うことができません。(私は手を切っても、治ります、でも主人は治りません)
緩和ケア(生命を尊重し死を自然の過程として認める)の始まりだったようにも思えます。
先生も開けてもすぐ閉じるだけと言ってました(そんな痛い思いをするのならと思いました)

手術ができないのです。

その頃アナウンサーの逸見政孝さんも同じ病気でした。手術をされてましたね

抗がん剤治療は2回受けました。(嘔吐は大変でした)

・ずうっと病院食は食べられず、毎日、⁺温麵(温かくして「かけ」届けました)
  ⁺温麺…油で揚げていない白石の素麺
・メロンが食べたいと言った時は困り周りの方にお願いしました(笑)
・毎日病院に通いました。
  *途中、私が倒れそうになった時は、みんなが、母が助けてくれました。
・会社の上司に、説明をし、いつ何が起きてもおかしくないことも告げておきました。
  *結婚式はしたものの、籍には入れてなかったのは途中入社の負い目からでも結婚したことのように対応してくれました。
・嘘を突き通すことの苦しさ
・主人のイレギュラー対応に困ったこともありました
  *腹水を抜くように先生にお願いする
   3回しました(母にがんが動くと脅かされていた私は怖かったです)
   1回目は噴水のごとく出て、本人も楽になり良かったとは思いましたが
   (自分を苛め始めました)3L位
   2回目は前の1/2 1.5L位でした、
   3回目はもう1Lも出ず、カエルのお腹に戻ってしまいました
   お腹だけが膨らみ、体の筋肉は落ち、40歳なのに後ろ姿はおじいちゃん
   のようになっていきます     
  *週末は自宅に外出許可を取る
  (2月でした寒いので風邪をひかさないように対応する事、車で連れて帰る時の運転には気を使いました)



個室に移ってからは、泊り続けました。
・離れることを怖がりました
・夜トイレに行くのに色々つけているので、行くのに20分、用を足して5分、
 戻るまで20分、その繰り返しが2時間おきにありました。
・昼間、母が来て変わってくれましたが、やはり長くは離れられずすぐ戻ってしまう日々
 個室に移った日は悲しくも私の誕生日30歳でした。
・個室は10日しか使いませんでした。良く話しました昔の事、10年の長い歴史でもう一度やりたいこと
 希望をもってほしかった一日も長く生きてほしかった
   ・スイスでもう一度スキーがしたい
   ・バイクでツーリングを2人でしたい
   ・仲間と遊んでいたい
   ・子供が欲しい
   ・民宿かペンションが作りたい
   ・新潟石内丸山に行きたい
          ・
          ・
          etc.
                            ・
           

平成1年3月29日に他界します
お葬式の後、火葬するときに雪が降りました。桜も凄くて水元公園の桜を見ながらお骨を抱いて泣きながら桜道を通りました
あっ!という間の3か月でした。

時を大切にしてください

最後に

皆さん、思うところあると思います。
正しいかどうかは本人だけしかわかりません。
これを読んで、こうなるんだとか今は全然違うとか奥さんがやるべき事後悔しないための毎日がわかってもらえればと思います。

告知を受ける時は、
・車では行かない
・頼れる人と必ず行く
・時間を大切に使う

我慢強い主人で、器用で何でも作ってしまう、バイクと車とスキーが大好きでカッコ良かった広瀬年秋



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